「小島のあん(兄)ちゃん、サッカーやってるんだってよ~。」
もう20年位前のことですが、当時、高校球児だった僕は、チームメイトの『小島』に兄貴がいて、
野球ではなくサッカーをやっているということを、他のチームメイトから初めて聞いた。
チームメイトの”小島”は、前橋で野球をやっていた同年代のヤツ等には超有名人だ。
小学校のリトルリーグ時代から、県大会常連チームのエースとして。中学に入ると、速球投手として将来を嘱望され、
進学先をアレコレ噂されていたほどだ。
高校に入学したら、同じ野球部に”そいつ”がいて、驚きと同時に、『甲子園』の可能性も感じ、嬉しくなったものだ。
『あいつのあん(兄)ちゃん=新島-同志社でサッカー』
そんなキーワードだけがアタマの片隅に残り、しかし僕たちは、甲子園に向かって日々、野球に明け暮れた。
”そいつ”は、周囲の期待そのままに、甲子園投手にまで登りつめた。
「アニキは何で野球やらなかったんだろ?」
絶頂期の”そいつ”の活躍を傍観しながら、そんな疑問がふと頭をよぎった。
高校を卒業し、大学、ノンプロの実業団でも”そいつ”が野球を続けていると、高校時代の別のチームメイトから報せを聞いていた頃、
日本のサッカーを巡る環境が激変した。
1993年、Jリーグ開幕。
Jリーグ・バブル。
そして1994年、ベルマーレ平塚(当時)、Jリーグ加入。
野球バカの僕としては、バブル景気に湧き上がる東京で、モテまくるJリーガーに、『サッカーは敵だ!』と、
わけのわからない嫉妬心を抱いていた。
そんな時、高校時代の野球部の同僚、そう、冒頭に、「小島のあん(兄)ちゃん」のことを僕に教えてくれたヤツが、また教えてくれた。
「小島のあん(兄)ちゃん、Jリーガーだってよ~。」
ベルマーレ平塚、ゴールキーパー、小島伸幸、群馬県出身。
誇らしかった。
お兄さんの顔なんて、1回も見たことないんだけど、たぶん手当たり次第に自慢した気がする。
僕の知ったかぶった自慢は、98年に絶頂を迎える。
我等のあん(兄)ちゃん(すでに”我等”になっちゃってる)、フランスワールドカップメンバー入り。
その後数年、そんな小島伸幸選手が、草津のサッカーチームにやってくる。
しかもJリーグを目指すらしい。
嬉しかった。
日本代表クラスで活躍した選手が、地元に戻って、また全国を目指すチームを作る。
活躍の場を、群馬に求めてくれたことが、本当に嬉しかった。
もしかしたら、群馬出身のJリーグで活躍する選手たちや、Jリーグを目指す選手たちが、続々と群馬に戻り、
群馬から全国を目指してくれるんじゃないかと、期待に胸が膨らんだ。
まずは応援したい。応援する気持ちを持ちたい。
それが2002年。
弊社が会社としてザスパを応援し始めた最初の年。
その後2年で本当にJリーグに上がってしまった。
小島伸幸選手引退の報を聞いて、ちょっと思い出話なんかしてみました。
本当にお疲れ様でした。
そして、どうもありがとうございました。
群馬県民にとって、ザスパ草津という夢はまだ続きます。
これからも宜しくお願いいたします。
中央自動車ガラス
吉澤